事件発生日:1985年1月24日
公電日付:1985年1月28日
公開日:2026年5月8日
発生場所:パプアニューギニア
公開元:国務省
文書の種類:PDF
アセットファイル名:国務省UAP電報1号、パプアニューギニア、1985年1月28日
出典:U.S. Department of War「State Department UAP Cable 1, Papua New Guinea, January 28, 1985」 / dos-uap-d1-cable-1-papua-new-guinea-january-1985.pdf
2026年5月8日、米国の戦争省は「Presidential Unsealing and Reporting System for UAP Encounters(PURSUE)」Release 01の一部として、国務省のUAP関連公電を公開した。
今回の資料は「State Department UAP Cable 1, Papua New Guinea, January 28, 1985」。日本語でいえば、「国務省UAP電報1号、パプアニューギニア、1985年1月28日」である。
この文書は、1985年1月28日に、パプアニューギニアのポートモレスビーにある米国大使館から、ハワイ州ホノルルのUSCINCPAC(※米太平洋軍司令部。現在の米インド太平洋軍)宛てに送られた外交電報である。
件名は「PAPUA NEW GUINEA INQUIRY RE OVERFLIGHTS」。つまり、「パプアニューギニア、上空通過に関する照会」である。
内容は、1985年1月24日夜に、パプアニューギニア上空で高高度・高速の航空機らしきものが目撃されたという報告について、現地の情報機関が米国大使館に問い合わせた、というものだ。
報告には、光、飛行機雲、騒音を伴う高速移動物体が含まれていた。
さらに、エア・ニューギニのパイロットが、南から北へ高速・高高度で飛行する航空機をレーダーで捉えたと述べたことから、現地情報機関は一定の信頼性を置いていた。
住民が怖がり、州首相が住民集会を開いた
この公電でまず目を引くのは、単なる空の目撃談では終わっていない点である。
1985年1月28日、在ポートモレスビー米国大使館は、PNG National Intelligence Organization、つまりパプアニューギニア国家情報機関、NIO(※国家情報機関)から非公式の照会を受けた。
照会の内容は、1月24日夜にパプアニューギニア上空で報告された、高高度・高速航空機の目撃についてだった。
この件がNIO(※国家情報機関)の注意を引いたのは、ウェワクにいる同機関の職員が、地元住民が上空通過に恐怖を感じていると報告したためである。
その結果、州首相がこの件について住民集会を招集した。
しかも、その集会には、選挙区で週末を過ごしていた首相も出席したと記されている。
つまり、これは「空に変なものを見た」というだけの話ではない。
地元住民の不安が政治的な対応につながり、情報機関が米国大使館に確認を求める事態になっていた。
光、飛行機雲、騒音を伴う高速移動物体
NIO(※国家情報機関)によれば、1月24日夜には、未確認航空現象に関するさまざまな報告があった。
報告された内容には、光を伴う高速移動物体、飛行機雲、そして騒音が含まれていた。
ここで使われている表現は「unidentified aerial phenomena」、つまり現在のUAP(※未確認航空現象)とほぼ同じ言葉である。
1985年の国務省公電の中で、すでにこの表現が使われている点は興味深い。
ただし、文書のニュアンスとしては、宇宙人や超常現象の話ではない。
むしろ、パプアニューギニア領空を通過したかもしれない高高度・高速航空機をめぐる照会である。
光が見えた。
飛行機雲があった。
騒音があった。
そして住民が怖がった。
この組み合わせは、航空機、軍用機、あるいはその他の高空飛行体を連想させる。
エア・ニューギニのパイロットがレーダーで捉えた
NIO(※国家情報機関)が一定の信頼を置いた報告は、エア・ニューギニのパイロットに由来していた。
そのパイロットは、ウェワクを離陸し、ポートモレスビーへ向かっていた。
彼はアンゴラム上空付近にいたとき、自機のレーダーが、南から北へ高高度・高速で飛行する航空機を捉えたと述べた。
アンゴラムの位置は、おおよそ南緯4度、東経144度付近と記されている。
この点が、この報告を単なる目視証言から少し引き上げている。
目撃者が光や飛行機雲を見ただけでなく、民間航空機のパイロットがレーダー上で対象を捉えたと報告しているからである。
もちろん、公開文書にはレーダー記録そのものは含まれていない。
したがって、対象の速度、高度、機種などを検証することはできない。
しかし、少なくともNIO(※国家情報機関)は、このパイロット報告を信頼するに足るものと見ていた。
北から南へ1機、南から北へ6〜8機
公電には、目撃方向についても複数の報告が記されている。
パプアニューギニア各地から、飛行機雲の目視報告があった。
ひとつは、現地時間19時に、北から南へ移動する1機の航空機に関するものだった。
もうひとつは、現地時間22時に、南から北へ移動する6〜8機の航空機に関するものだった。
この記述だけを見ると、単独の謎の物体というより、複数の高高度航空機が通過した可能性も考えられる。
ただし、公電の末尾では、情報が非常に断片的で、目撃者たちは航空機がどの方向へ飛んでいたのか確信していなかったとも述べている。
つまり、方向や機数については慎重に読む必要がある。
住民の目撃、飛行機雲、音、レーダー報告が重なっているが、全体像はまだ曖昧なままだった。
米大使館は「B-52も米軍機も知らない」と回答
米国大使館は、自らの記録と、グアムのアンダーセン空軍基地に関係する43SWとの電話確認に基づき、NIO(※国家情報機関)へ回答した。
その内容は、1月24日にB-52の上空通過は把握しておらず、パプアニューギニア領空内に米国航空機もいなかった、というものだった。
B-52の名前が出てくる点は興味深い。
高高度・高速・飛行機雲・騒音という報告から、現地側または米側は、米軍の大型爆撃機による上空通過の可能性を意識していたのかもしれない。
しかし、少なくとも大使館が確認した範囲では、B-52でも米軍機でもないと説明された。
そのうえで、公電はUSCINCPAC(※米太平洋軍司令部)に対し、その回答の確認と、この報告について何か説明できる情報があれば提供してほしいと求めている。
「非常に曖昧」だが、無視はされなかった
公電の最後で、大使館はこの目撃情報について「very sketchy」、つまり非常に断片的、曖昧だと評価している。
また、情報源は航空機の飛行方向について確信がなかったとも述べている。
つまり、米国大使館はこの報告を、強い証拠に基づく明確な航空侵犯事件として扱っているわけではない。
だが、完全に無視もしていない。
現地情報機関からの照会であり、住民不安があり、州首相による住民集会があり、エア・ニューギニのパイロットによるレーダー報告もある。
だからこそ、大使館は米軍側に確認を求めている。
このバランスが、公電らしい。
情報は曖昧。
しかし、政治的・治安的には放置しにくい。
これは“宇宙人UFO”ではなく、領空確認の文書である
今回の資料は、UFOの正体を示すものではない。
また、異星人の乗り物や未知の技術の存在を示す文書でもない。
むしろ、UAPという言葉が、現地の安全保障・領空管理・住民不安の文脈で使われている例である。
パプアニューギニア上空を、高高度・高速の何かが通過したと報告された。
住民が怖がった。
州首相が住民集会を開いた。
情報機関が米国大使館に問い合わせた。
大使館はB-52や米軍機の関与を否定しつつ、太平洋軍に確認を求めた。
この流れは、かなり現実的である。
空で正体不明のものが見えたとき、それはまず、住民不安、領空侵犯、軍用機の活動確認という問題になる。
1985年、パプアニューギニアの夜空で何が飛んだのか
この文書だけでは、1985年1月24日夜に何が飛んだのかは分からない。
米軍機ではなかったのか。
他国の軍用機だったのか。
民間機の誤認だったのか。
複数の飛行機雲が重なって不安を呼んだのか。
それとも、別の高高度飛行体だったのか。
公電は答えを示していない。
ただし、この短い3ページの資料は、UAPという問題の実務的な側面をよく示している。
空に見慣れないものが飛ぶ。
住民が不安になる。
現地政府が確認する。
米国大使館が関係軍司令部に照会する。
そして文書として残る。
パプアニューギニアの1985年のUAP公電は、派手なUFO事件ではない。
だが、正体不明の上空通過が、外交と軍事確認の対象になった記録として、かなり興味深い資料である。
全文翻訳
出典元ページの説明
この文書は、1985年1月28日にパプアニューギニアのポートモレスビーにある米国大使館から、ハワイ州ホノルルにある米国インド太平洋軍司令部、USCINCPAC(※米太平洋軍司令部。現在の米インド太平洋軍)宛てに送られた米国国務省の外交電報である。
この電報によると、パプアニューギニア駐在の米国大使館は、1985年1月24日夜にパプアニューギニア領空で高高度高速航空機が目撃されたとの報告について、パプアニューギニアの情報機関から問い合わせを受けた。
電報では、現地の情報機関の代表者をNIO(※国家情報機関)と呼んでいる。
NIO(※国家情報機関)は米国外交官に対し、住民が「上空を通過する航空機に恐怖を感じ、州首相がこの件に関する住民集会を招集した」と伝えた。
また、NIO(※国家情報機関)は「1月24日夜には、光、飛行機雲、騒音を伴う高速移動物体など、未確認飛行物体に関する様々な報告があった」とも述べている。
NIO(※国家情報機関)は、エア・ニューギニのパイロットが「レーダーが高高度かつ高速で南から北へ飛行する航空機を捉えた」と証言したことに基づき、これらの報告を信頼できると判断した。
電報は、NIO(※国家情報機関)が提供した情報を「非常に曖昧」と評して締めくくっている。
また、問題の夜にパプアニューギニア領空内に米軍機が存在したか否かについて、米インド太平洋軍に説明を求めた。
アセットファイル名:国務省UAP電報1号、パプアニューギニア、1985年1月28日
公開日:2026年5月8日
機関:国務省
事件発生日:1985年1月24日
事件発生場所:パプアニューギニア
文書の種類:PDF
国務省公電の基本情報
分類:非機密 / 公用限定
MRN:85 PORT MORESBY 199
日付:1985年1月28日 / 280000Z JAN 85
発信元:在ポートモレスビー米国大使館
宛先:USCINCPAC Honolulu HI(※ホノルルの米太平洋軍司令部)緊急扱い
情報共有先:43SW Andersen AFB Guam(※グアム、アンダーセン空軍基地第43戦略航空団)、国務省、在キャンベラ米国大使館、在ジャカルタ米国大使館など
件名:パプアニューギニア、上空通過に関する照会
本文翻訳
1. 大使館は1月28日、PNG National Intelligence Organization、NIO(※パプアニューギニア国家情報機関)から、1月24日夜にパプアニューギニア上空で高高度・高速航空機が目撃されたとの報告について、非公式の照会を受けた。
この件は、ウェワクにいるNIO(※国家情報機関)の職員が、地元住民が上空通過に恐怖を感じていると報告したことで、NIO(※国家情報機関)の注意を引いた。
その結果、州首相がこの件に関する住民集会を招集した。
その集会には、自分の選挙区で週末を過ごしていた首相も出席した。
2. NIO(※国家情報機関)は、1月24日夜に、未確認航空現象に関するさまざまな報告があったと述べた。
それには、光、飛行機雲、騒音を伴う高速移動物体が含まれていた。
NIO(※国家情報機関)がある程度信頼を置いている報告は、ウェワクを離陸してポートモレスビーへ向かっていたエア・ニューギニのパイロットに由来する。
そのパイロットは、自分がアンゴラム上空付近、南緯約4度、東経約144度にいたとき、レーダーが南から北へ高高度・高速で飛行する航空機を捉えたと述べた。
パプアニューギニア各地からは、飛行機雲の目視報告もいくつか寄せられた。
それらには、現地時間19時に北から南へ移動する1機の航空機の報告と、現地時間22時に南から北へ移動する6〜8機の航空機の報告が含まれていた。
3. 我々の記録と43SW(※第43戦略航空団)との電話確認に基づき、我々はNIO(※国家情報機関)に対し、1月24日にB-52の上空通過は把握しておらず、パプアニューギニア領空内に米国航空機はいなかったと伝えた。
4. これらの目撃情報について我々に提供された情報は非常に断片的であり、情報源も航空機がどの方向へ飛んでいたのか確信していなかった。
それでも、上記3項の確認と、これらの報告について何らかの説明をいただければ、非常にありがたい。
署名:GARDNER
配布規則:アーカイブコピー
出典:U.S. Department of War「Presidential Unsealing and Reporting System for UAP Encounters(PURSUE)」Release 01、および「dos-uap-d1-cable-1-papua-new-guinea-january-1985.pdf」
